チャールズ動画「Contingent Staking-委任者承認型プール」について概要翻訳記事🎉

:white_check_mark:あくまでこれは選択肢に過ぎずSPOの自由を与えるだけなので規制レイヤー導入などといったFUDをやめるべき

:white_check_mark:ヒステリックな議論で被害者を気取るのではなく、事実ベースで議論してください。

https://www.youtube.com/watch?v=36WUIyk0T9g

委任者承認型のコンティンジェントステーキングについて話します。

現状のSPOはテロリストが委任していても拒否できません。ウクライナの運営者はロシア政府の資金が入っている委任者を拒否できません。特にISPOで、問題のある人物を排除できません。

例えば委任者のメールアドレスを収集するチャリティプールで寄付先についての情報を共有できるようにすることもできます。

SECに支配されたいのではなく、単純にSPOにより契約を結べる自由を確保したいということです。

報酬をDefiに投資して8%の報酬を約束するプールも考えられます、これは顧客資産を保管しているのでリスクはあり、一部の取引所が行なっていることです。これは一般的には規制された運営体と考えられます。あなたがより高いリスク高いリターンを望む自由があります。

アメリカ人と1人でも取引をしたらイギリスの事業体であってもアメリカと同様の規制を受ける、という法案は非倫理的で適用されるべきではないですが、これが適用されてしまう可能性もあります。その場合はアメリカの居住者から委任されるのを排除したいと思うかもしれません。

プライベートプールの運用も可能であり、多くのビジネスチャンスがありますが、規制にも対応できる仕組みが必要です。

「CardanoはSECの犬になった、もう使わない」などというツイッターのランダムな人たちは会話になっていません。確かにこれはコンプライアンスに応用できるトピックですが、それだけではない話であり、機能の話を政治の話や倫理の話にすり替えて叫び回る人々は誠実ではありません。たとえ古くからCardano愛好家であったとしても、Cardanoで素晴らしい製品を作っていたとしても、このような不誠実な叫びを許容することはできません。

CIP 1694について議論があり、長所短所を論じることができ、投票によって実装がされます。にも関わらずいざ実装されると、「私は黙らせられ、チャールズに決められた、私は被害者だ!」という人たちが出てくることでしょう、

委任者承認型にするか、しないかは、それが実装されても、SPOが選択することです。その選択の自由を与えることができるのです。

良いコミュニティになるには、被害者ぶって悲劇のヒロインになり泣き叫ぶのではなく、事実に基づいて、プロセスを重視しなければなりません。成功すれば何十億人のニーズに応えて、複数の大陸の金融オペレーティングシステムにになりえます。ここには規制された活動と規制されていないものがあります。

SPOに委任者承認型も選べるようにすることをしない決断もありえますが、これはCardanoチェーンの回復力を制限することにもなることは覚えておく必要があります。

みな成長しなければいけません。何か話題になるたびに、CardanoはSECの

犬になったなどと泣き叫び悲劇のヒロインを気取るのをそろそろやめなければいけません。Krakenを見ても、結局ステーキングそれ自体ではなく、利回り向上を背後で行なっている事実に問題があったのです。アメリカの事業者はもう規制されているというわけではありません、SPOの活動は必要ないと現時点では言っています。しかしKrakenの活動は確かに情報の非対称性が認められます。これをドラマチックに捉えて叫び回る人々が出てきていますが、結局業界として前進をしているだけなのです。

SPOが委任者を強制委任解除できるのかという話もあります。

Cardanoのガバナンスが、アメリカの政治のように、デマとヒステリーと対立に終始してしまうならば、もう何にもなれないでしょう。

この議論を見ても、会員制組織MBOの必要性がさらに明らかになったと思えます。私たちはとにかく、偉大なことを成し遂げたことを認識しなければなりませんし、私たちが維持しなければエコシステムは消えてしまうことも認識しなければなりません。私たちはトレードオフと哲学を理解して進めなければいけませんが、Twitterではヒステリックな喧嘩にしかならないならば、別の方法を考えなければいけないということです。

委任者承認型のステーキングができることで、Cardnaoは規制のレイヤーが導入されたというのは根本的に間違っています。選択肢があるだけであり、SPOには顧客を選ぶ自由があります。

全員が全て同じ考えを持つ必要はありませんが、議論に際しての基本的なルールについては同意しなければならないのです。